よくあるご質問を紹介いたします。
日本人は古来より、いたる所に神々の存在を感じ、その力を恐れかしこみ、その恩恵に感謝してきました。
土、水、火などにもそれぞれの神々が居られると信じて、感謝しながら謹んで使わせて頂いています。
家屋(社屋)を建てるにあたっては、その土地の神様に奉告し、さらにその御加護によって工事の無事を祈り、
建物の恒久堅固と除災を願い住む人達が末永く繁栄するよう祈願するのが一連の家屋の祭りです。
家屋の祭りの代表的なもの数点を詳しくご説明します。
建物の新築、あるいは各種土木工事の起工に際して産土の神、土地の神様をお迎へして、
土地・建物の安全堅固と、さらに工事の無事進行と完成、生活の平安を祈願する重要な祭りです。
一般的に建前として行われていますが、棟木を屋根の一番高い所に上げるのにあたり、
家屋の守護神及び工匠の神をお祀りして、末永く災いなく建ち栄えるよう祈願する祭りです。
建物が完成し入居する前に行います。
無事に竣工したことを神々に感謝して、喜び祝うと共に、
いつまでも安全堅固であることを願い、日々に神恩を授かることが出来ますように祈願する祭りです。
神棚は、新築や転居の際、また事務所を新しく開いたりする場合に清祓いをして設けます。
神棚には天照皇大神(伊勢神宮)、氏神様のお札をまつり、日毎に一家揃って拝礼し神様に感謝するとともに、
そこで生活する家人の健康、家内安全等を祈願します。
おまつりする場所は、明るく清らかな南向き(又は東向き)がよく、神様に失礼にあたらない所に設けます。
神棚の上(二階など)を人が歩くような場所は好ましくないでしょう。
神棚を設ける場所については設計段階より社務所にご相談ください。
尚、神棚の祭りに関しては「家庭のまつり」のページに詳しくご説明しています。参考までにご覧ください。
※この他諸種の祈願祭は最寄の神社にてお申し出下さい。
古くから人々豊富な経験に基づいて得に気をつけなければならない年回りを「厄年」と呼びました。男の二十五歳・四十二歳・女の十九歳・
三十三歳が「厄年」に当たりその前後の年を前厄、後厄と呼びますが、特に男の四十二歳、女の三十三歳が大厄とされています。
この年齢は人生の大きな節目です。
神前でお祓いを受け神の計らいで無事に過ごせるように祈りつつ、謙虚な気持ちで日々を過ごしましょう。
私たちの祖先は、長い歴史の中で培った経験によって、注意を要する年を厄年としました。
この厄年というのは、現代の生活にもあてはまる人生の節目、転換の時期であり、
身体的にも精神的にも調子をくずしやすい年齢といえます。
また厄年の人は社会における重要な年回りとされ、神事でも重要な立場に当たりました。
ですから「厄」は神祭りを行う「役」のこともさしています。
その役をするにあたり神様に失礼にならないよう、生活を慎み、
心身を清浄にするために祈祷したのが始まりとも考えられています。
そのようにして厄年にあたる方は神社にお参りし、厄祓いを受けてすがすがしい心身となり、
謙虚で節度ある生活をする智恵を育んでまいりました。
「お礼参り」は後厄の翌年に厄年を無事過ごせたことを感謝してお参り下さい。
前厄 | 平成13年(2001)生(24歳) | 昭和59年(1984)生(41歳) | 昭和40年(1965)生(60歳) |
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本厄 | 平成12年(2000)生(25歳) | 昭和58年(1983)生(42歳) | 昭和39年(1964)生(61歳) |
後厄 | 平成11年(1999)生(26歳) | 昭和57年(1982)生(43歳) | 昭和38年(1963)生(62歳) |
前厄 | 平成19年(2007)生(18歳) | 平成5年(1993)生(32歳) | 平成1年(1989)生(36歳) |
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本厄 | 平成18年(2006)生(19歳) | 平成4年(1992)生(33歳) | 昭和63年(1988)生(37歳) |
後厄 | 平成17年(2005)生(20歳) | 平成3年(1991)生(34歳) | 昭和62年(1987)生(38歳) |
※ご祈願は最寄の神社にてお申し出ください。
長寿を祝う儀式を「年祝い」といいます。
年祝いを広い意味で解釈すれば幼児期から始まる人生儀礼も含まれますが、
一般的には還暦からの祝いのことをいいます。
これらの歳には、無事に人生を送れたことへの感謝と喜びを神さまにご奉告し、
ご家族そろってお祝いするとよいでしょう。
還暦(かんれき) | 昭和38年(1963)生(61歳) | 卒寿(そつじゅ) | 昭和9年(1934)生(90歳) |
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古希(こき) | 昭和29年(1954)生(70歳) | 白寿(はくじゅ) | 大正14年(1925)生(99歳) |
喜寿(きじゅ) | 昭和22年(1947)生(77歳) | 上寿(じょうじゅ) | 大正13年(1924)生(100歳) |
傘寿(さんじゅ) | 昭和19年(1944)生(80歳) | 茶寿(ちゃじゅ) | 大正5年(1916)生(108歳) |
米寿(べいじゅ) | 昭和11年(1936)生(88歳) | 皇寿(こうじゅ) | 大正2年(1913)生(111歳) |
※ご祈願は最寄の神社にてお申し出ください。
神様を拝むときは「二拝二拍手一拝」の作法でお参りします。
神社によっては、そこの故実によって異なった作法を行っているところもあり、
伊勢の神宮の神職がおこなう「八度拝」や、出雲大社の四拍手などの例を挙げることができます。
一般的には正式参拝や祈祷でお金を御供えする場合は「玉串料」「初穂料」と書きます。
そのほか、お酒を御供えする時の表書きは「御神酒」「奉献」、食べ物などを御供えする時は
「御神前」「御供」などと書きます。お葬式(神式)の場合は「玉串料」「御霊前」と書きます。
特に決まりはありませんが、正式参拝や祈祷を受ける場合、男性はネクタイ・上着の着用が原則となります。
さらに例大祭や、公共性の高い祭り、参拝する団体の代表などで参列する場合は、
ダークスーツや略礼服が望ましい(女性はこれに準じた服装)です。
また職業により制服が定められている場合は、それが正装に準じる場合もあります。
ご神前には、もともと秋のみのりを感謝してお米や農作物、また海の幸や山の幸が供えられました。
しかし貨幣の普及とともに、代わりに等価の金銭でお供えするようになりました。
ですから賽銭箱には、お金を投げ入れるのではなく、神様にお供えをするという気持ちを心がけたいものです。
社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝する人を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。
その美しい音色は神人ともに和ませるものといえます。鈴は古くは巫女が神楽を舞うことにより、
神がかりして人々に神のご意思を伝えてるために必要なものでした。祈祷のときの神楽鈴、
鈴振りは祓い清めの意味で用いられています。
おみくじは占いの一つであり、吉凶や物事を選定することに方法として広く用いられています。
語源は、くじの形態から「串」であるとする説や、
訴訟などを公正に判断するという「公事」からついたとする諸説があります。
現在のおみくじは個人の運勢を占うことが中心になっており、形も江戸時代に入ってからといわれています。
もともとは、神様の乗りものとして本物の馬「神馬(しんめ)」を献上したことに始まります。
その後に代用として馬像や、さらに簡略された絵馬が奉納されるようになりました。
絵馬とは本来馬の絵が描かれているものをいいましたが、時代や人々の願いとともに、馬以外の絵も描かれるようになり、
その内容は、神社の風景や干支のものが多く、合格祈願や病気平癒の祈願をしたものなどさまざまです。
私たちは、お正月や春秋の祭礼をはじめ、初宮参り・七五三・厄祓いのような人生の節目節目で神社に参拝します。
そして、日々生かされていることを感謝し、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛など様々な願いを神様にお祈りします。
神社参拝の時、もっとも大切なことは、真心をこめてお参りすることです(神棚へのお参りでも同じ)。
どう心を込めるかはお参りする皆さん各人各様ですが、
神前での二拝二拍手一拝は、神様に誠の心を捧げるための「作法」の基本形です。
全国神社の中には別作法の所もありますが、お陰を戴いていることに心から感謝して行うことが一番大切です。
心を込めたお参りにより、「安心立命」心の平穏が訪れます。
衣服を整え、軽く会釈をして鳥居をくぐり、境内に入ります。
他人の家に入る時は「御免ください」「お邪魔します」などと挨拶するのが常識です。
神様の鎮まる神社に敬う心を示さずに入るのは失礼です。
手水舎があれば、ここで手と口を清めます。
※手水の作法
神前に進みます。姿勢を正します。参拝します。参拝は『二拝二拍手一拝』の作法で行います。
※二拝二拍手一拝の作法(立っている場合も座っている場合も同じです。)
神道は私たち日本人の生活と深い関わりをもっています。
日本の風土や生活の習慣に基づいて、自然に発生した独特の神観念です。
自然万物に継承された祖神の霊に対して畏敬の念と深い感謝をもって、一貫した生命の流れが断絶することなく、
今の私達に受け継がれているという、心の伝承…。それが神道です。
ですから神道には、開祖や教祖はいませんし、教えを説く教典(経典)などもありません。
神道は始めから宗教として認識されていたわけでなく、仏教が大陸より伝来したことにより、
日本独自の習慣・信仰が祖神(みおやがみ)の御心に従う「かんながらのみち(惟神の道)」として
意識されるようになりました。
神道の特色のとして、一つには外来宗教(仏教・儒教・道教など)を受け入れてきた寛容さがあげられますが、
我が国独自の神観念は変わらず、現在まで連綿と受け継がれています。
もう一つは、神々を敬い祖先を大切にする敬神崇祖(けいしんすうそ)という考えです。
他の宗教のように、神々が隔絶された存在でなく、
私たち日本人の祖神として、深いつながりがあるということを示しています。
ですから自分達の祖先を丁重にお祀りすることは、神々を祀ることになるのです。
森(自然)の中に神社を建て神々を祀るとういうことは、日本人が生活を豊かに育んできた自然の中に、
神々の力を感じ、恐れ敬う(畏敬)心をもって接してきたことによるものです。
これからの次世代に、自然との調和を大切にすることを伝えていくことは、
神道の心・日本の心を伝えることになるでしょう。
全国の神社については、皇祖(こうそ)天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、
このほかを氏神神社と崇敬神社の二つに大きく分けることができます。
氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、
この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する人々を氏子(うじこ)と称します。
元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、
自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、
この血縁的集団を氏子と呼んでいました。
現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが、
地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。
これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、
個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。
神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、
こうした神社では、神社の維持や強化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。
神道ではお葬式のことを「神葬祭」(しんそうさい)、また単に「葬祭」といいます。
神道では、私たちが生かされている現世(うつしよ)を一番に考えています。
しかし、人が亡くなった後も霊魂は永遠に不滅であり、
神葬祭でお祀りされ鎮まられた「御霊(みたま)」は、子孫を見守る「祖霊」となり家の祖霊舎に祀られます。
こうした考え方により、葬祭では故人の生前での功績を称え、お供え物をし、遺徳を偲んで祭詞を奏上し、玉串を捧げます。
その後は、年毎の祭り(年祭)やお盆・お彼岸での祖霊祭に御霊を丁重にお祀りします。
そこには故人の霊魂と遺族との直接的な深い関係があるわけです。
現在、仏教の行事として行われている「お盆」などの「みたま祭り」も、
元来は仏教とは関係なく、日本固有の祖霊信仰に基づいているものなのです。
親族が亡くなったときに身内の者は喪に服しますが、「忌」とは故人の祀りに専念すること、
「服」とは喪に従い故人への哀悼の気持ちを表す期間のことをいいます。
〈神職の忌間〉
父母・夫・妻・子…10日間、
7歳未満の子・祖父母・孫・兄弟姉妹…5日間
〈氏子の場合〉
「忌」…五十日祭(50日間)まで、
「服」…一年祭(一周忌)まで
忌を過ぎれば神事を再開してもしてもよい(地方の慣例による)。
忌の期間中は神社への参拝を遠慮しますが、やむを得ない場合は、お祓いを受けてから鳥居をくぐって境内にお入り下さい。
忌間中は神社への参拝を遠慮しますが、家庭の神棚も同様なことがいえます。
身内が亡くなると先ずその旨を神棚に奉告し、生前のご恩を感謝し、葬儀が無事終了することを祈ります。
その後、神棚の前に半紙を貼り(地域によっては屏風を立てる)、一般的には忌明け(五十日)まで祀りを止めます。
そのほか生前に病気平癒などの祈祷を受けた場合は、家族以外の方が神社に参拝し、その祈願を解きます。
神棚の御神札は毎年新たに取り替えますが、年末年始が忌中にかかる時は、忌明けの後に新しい御神札を受けて下さい。
水引は弔事の場合黒と白のものを用いますが、一年祭以降は黄白の水引(福井の場合)を用いることが多いようです。
包みの裏側の合わせ方は、上の方が上に重なるようにします。
表書きは「玉串料」や「御霊前」「御榊料」等と書きます。
市販のものには蓮花模様(仏式用)がついている場合があるのでご注意下さい。
神話に黄泉の国から戻った伊弉諾尊(イザナギノミコト)が自らの体についた穢(けがれ)を祓うため、
海で禊祓いをしたと記されているように、清めに塩を使うことは、日本古来からの宗教的習俗であり、
海水を意味する「潮」とも通じています。
このことが民間において「しおごり」といって海水を浴びて身を清めたり、
海水を沸かした「塩湯(えんとう)」が、病気の治療や無病息災のために用いられるようになります。
先人たちは、塩が持っている優れた浄化力や殺菌力を知っていたということです。
現在、神社の祭りでも塩水でお清めを行いますし、
一般に葬式で塩が使われるのも、こうした古来からの信仰・風習に基づくものであります。
神社での祭りは、農耕(米作り)を中心とした祭典が最も重要とされてきました。
毎年春にその年の五穀豊穣、国家安泰を祈る祈年祭。
11 月に行われる天皇陛下が新穀を神々にお供えされる新嘗祭などがそれです。
我が国では、天照大御神が皇御孫命(すめみまのみこと)の降臨に際して、
高天原で育てられていた斎庭稲穂をお授けになったという神話にもとづき、
このご神恩に感謝する祭が厳粛に連綿と行われてきています。
また季節の節目でいうと、正月の歳旦祭に始まり、節分、大祓など。
さらに建国記念祭や天皇誕生祭、国や皇室に関係した祭典など1 年を通して斎行されています。
一般の皆様のためには、人生儀礼の祭り(安産・初宮・七五三・厄払い等)や
個人祈祷(交通安全・合格祈願・病気平癒等の祈祷)がありますし、
神前での結婚式のほか、地鎮祭・竣工式・神棚祭など神社外での祭りもあります。
私たち日本人は、日頃の生活の全ての営みに神々の存在を感じ、感謝の念を絶えずもって暮らしてきたことで、
その信仰から様々な祭りと日本の心を継承してきました。
年に一度、例祭などの時に神様が神輿や山車にお遷(うつ)りになり、氏子の手によりその地域を巡行します。
この祭りにより神と人が一体となり、人々は祭りを通して活気を取り戻し、神様はその姿を見て喜び、
その地域と各家々に御神徳を与えて下さると信じられてきました。
祭りが地域の活性化に果たす役割は、今も変わらず受け継がれています。
節分は季節の移り変わるとき、立春・立夏・立秋・立冬の前日をいいます。
いつのころからか一年の四季の始まりを重視して、今日では「節分」といえば春の節分のことになりました。
古くは中国で行われていたもので、大儺(たいな)と呼ばれ、節分に行う悪疫邪気祓いの行事で、
「鬼やらい」ともいいます。
文武天皇の御代(706)初めてこの行事が執行れ、その後、十二月晦日の夜に桃の弓と葦の矢で
都の四門から鬼(疫病の原因)を追い払い、一年の疫鬼を祓って新年を迎える宮中の行事でした。
室町時代以降、神社や民間でもこれに習うようになり、長い時の流れの中で、
豆をうって鬼を祓う「豆まき」が節分の行事として一般に広がりました。
常に清らかで生活できるよう、自らの心身の穢れ、災いのもととなる罪・過ちを祓い清めることを目的としています。
この行事は神話の禊祓(みそぎはらい)を起源とし、宮中において古くから行われてきました。
中世以降各、神社で年中行事の一つとして一般にも普及しました。
大祓は年二度行われ、6 月の大祓を夏越(なごし)の祓と呼び、茅の輪(ちのわ)をくぐり、
人形(ひとがた)を用いて身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈ります。
12月の大祓は年越の祓と呼ばれ新年を迎えるために心身を清めます。
例大祭や結婚式など神社での神事では、
歌や舞を伴う「神楽」(かぐら)や、楽器のみの演奏を行う「雅楽」(ががく)があります。
神楽は神話の天の岩屋の段で、その前において天鈿女命(あめのうずめのみこと)が
神がかって舞った歌舞を起源としています。
雅楽は中国や朝鮮から伝来したもので、大宝元年(701)には宮中に雅楽寮という役所が出来ました。
平安時代には演奏の形式や、楽曲が日本の文化に合うように改められ、
その後一般の社寺でも演奏されるようになりました。
祭りの後に、神前に供えたものを神職をはじめ参列者みなさんで戴くことを「直会」といいます。
神前にお供えして神様が召し上がった物を私たちが戴くことで、神様のご加護や恩恵を体内に戴き、
この共食により神と人が一体となれると考えられてきました。
簡略されたものとして、御神酒を戴くことが一般的になっています。