神社では、1年を通じてたくさんの祭りが行われます。とくに四季の節目に大きな祭りがあります。
それぞれの祭りは「年中行事」となり、生活の一部として受け継ぎ守り伝えられています。
そして各地の神社では、豊かな実りを願い、日常の平安を願って、年に一回個性的な例祭が行われています。
季節ごとに郷土豊かな祭りをご紹介いたします。
月/日 | 開催地 | 祀り事 |
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4月8日 | 三方町 | 気山 宇波西(うわせ)神社祭礼/王の舞と捧げる御神刀 |
4月20日 | 三国町 | 安島 大湊神社祭礼/獅子舞 |
5月1日 | 美浜町 | 宮代 彌美神社祭礼/大御幣押しと王の舞 |
5月5日 | 福井市 | 鹿俣町 したんじょう |
5月5日 | 美山町 | 河内 じじぐれ祭 |
5月19日~21日 | 三国町 | 三国神社 三国まつり/山車(やま) |
5月24日 | 福井市 | 火産霊(ほむすび) 神社祭礼/馬鹿ばやし |
気山 宇波西(うわせ)神社祭礼/王の舞と捧げる御神刀
4月8日
宇波西(うわせ)神社
三方町気山
宇波西の王の舞は、鳥居から太鼓橋を渡り、舞場までの道中も道も鎮める所作を繰り返しながら入って来ます。能登のお熊甲(おくまかぶと)の祭を先導する猿田彦と雰囲気が似ています。青年の舞う王の舞を倒せば豊漁・豊作とし、隙を伺う見物人から二人の警護役が王の舞をガッチリと守っています。祭礼の間中渡辺六右ェ門氏は御神刀を高く捧げ持っています。
安島 大湊神社祭礼/獅子舞
4月20日
大湊神社
三国町安島
若狭や、越前では珍しく、獅子殺しを題材にしています。酒に酔った獅子を少年が倒すという趣向です。越中・能登・加賀の影響でしょうか。
宮代 彌美神社祭礼/大御幣押しと王の舞
5月1日
彌美神社
美浜町宮代
幣迎えで、一本幣、王の舞、獅子舞にそれぞれ挨拶を交し、長時間の肉体的疲労を強要された大御幣組ははじき放たれた様に大御幣を破砕し、乱暴の限りをつくし、またたく間に真中の丸棒一本にします。押しつ戻しつの御幣押しが約半日続き、最後に日の丸扇を持った幣差しの少年を乗せて、本殿に納まります。拝殿前での王の舞は見事に磨き上げられた風格を持って、多くの参拝者をうならせます。地から涌き上がった異形の貴人が地を這い体を折り、転回し、延び上がり、鉾で空を切り、剣印を結び、足で地を固めます。
鹿俣町 したんじょう
5月5日
福井市
五月の節句に子供たちで執行されます。猪退治のいわれをもち、シバで作った大きな猪をかたどり、サンダワラで頭を表現しています。先頭が野の花を結んだ棒を持ち、村中を引き廻し、最後にシバの猪をこわし、退治します。シバの猪は異様でおもしろく、野山の精霊のたくましさを猪の姿を借りて、象徴しています。制御できない自然を手中にしたい願いなのでしょうか。それとも、野山の精霊を振るまい起こしているのでしょうか。
河内 じじぐれ祭
5月5日
美山町
《千代 千代 千代の 花の こめて 山 それ そわか》 ブナやシデの枝葉でつくられたシバ神興をかつぎ廻ります。シバの中心には野の花をくくったナカジンとよぶ杭が三本さしてあります。拝殿でこれを奪い合い、氏神の本殿におさめますが神興は石段にほうり投げます。春を喜ぶ、素朴な心情が素直に伝わってきます。
三国神社 三国まつり/山車(やま)
5月19日~21日
三国神社
三国町
御祭神は大山昨命と継体天皇と雷神ですが、本来は山王権限と称し、大山昨命を祀っています。継体天皇をいつから祀るようになったかは定かではありません。十九・二十・二十一日の例祭のうち二十日の山車巡行は北陸三大まつりの一つで、巨大な武者の山車(やま)がせまい町並みを華麗に繰り出します。
火産霊(ほむすび) 神社祭礼/馬鹿ばやし
5月24日
福井市手寄町
火の神を祀り、秋葉さんともいわれ、親しまれています。下町の香りを残した庶民的な神社です。笛、太鼓、小太鼓、鉦で囃し、能面や狂言面を付けてドラマチックに、又は、おもしろおかしく大太鼓を打ちます。面は仲々優れた秀作です。
月/日 | 開催地 | 祀り事 |
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6月晦日 | 神社境内 | 足羽神社・足羽川 夏越之大祓 |
7月22日 | 敦賀市 | 氣比神宮の総参り |
8月23日、24日 | 大飯町 | 福谷 おおがせ |
足羽神社・足羽川 夏越之大祓
6月晦日
足羽神社
神社境内及び足羽川原(形代流し)
六月(昔は旧六月)晦日、足羽川で夏越の大祓と形代流しがおこなわれます。形代(かたしろ)を水に流す本来の形代流しは今では珍しい光景です。木製の人形(ひとがた)等の形代を水に流す習俗は古くからありました。形代に託した罪や汚れや病を半年毎に川や水に流すのです。当日、足羽山の足羽神社では、大祓と「茅の輪くぐり」をおこなっています。
氣比神宮の総参り
7月22日
気比神宮
敦賀市
七月二十二日、氣比神宮をでられた神が海を渡り、船で一時間かけて常宮神社へお渡りし、この宮で約四時間休憩をされ戻られます。仲哀天皇が神功皇后に会いに行かれるとする説と、伊奢沙別(いささわけ)命が八百萬姫命に会われるとする説があります。
福谷 おおがせ
8月23日、24日
大飯町福谷
二十四日は愛宕さんの縁日です。毎月氏神に勧請してある愛宕さんにお参りするお年寄りもいらっしゃれば、小浜市若狭の集落のように年三回の参る日を決めて正月の二十四日は集落中で、他の二回は代参で代表が伏原区の愛宕さんにお参りしお札をもらって来るところもあります。福谷では八月二十三日と二十四日に壮大な火伏せの火まつりをします。十米前後の柱に横木をつけ、萱をしばって火をつけ、起こしたり、回したり、倒したりします。近年は、十四日、十五日のお盆におこなうようです。
月/日 | 開催地 | 祀り事 |
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9月2日~5日 | 敦賀市 | 氣比神宮の例大祭と山車(やま) |
9月14日 | 丸岡町 | 北横地 布久漏神社の表児(ひょうこ)の米/米搗(か)ち |
9月14日、15日 | 小浜市 | 男山(おとこやま)八幡神社のホーゼまつり |
9月14日、15日 | 丸岡町 | 長畝 八幡神社例祭/日向神楽 |
十月第二土曜日、日曜日 | 福井市本堂町 | オシッサマのお渡り |
10月17日 | 高浜町 | 伊弉藷神社例祭/竜(りょう)舞/田楽・御幣播き |
氣比神宮の例大祭と山車(やま)
9月2日~5日
氣比神宮
敦賀市
平成六年から三基の山車が復元され、山車は六基見事に出揃います。古き港町の繁栄ぶりを彷彿とさせてくれます。藩政時代には十二町内と大店(おおだな)でそれぞれ大山車・小山車が出たようです。
北横地 布久漏神社の表児(ひょうこ)の米/米搗(か)ち
9月14日
布久漏(ふくろ)神社
丸岡町北横地
鳴鹿の堰所と十郷用水については、鹿のみちびきで堰をつくりその足跡に用水をつくったという伝説が残っています。その鹿が餌をはみ、しばらく休んでいた場所がこの布久漏の郷(現北横地)だという由緒書が上金屋の土肥家に伝わっているそうです。米を搗ち、臼を持ち上げ力自慢をし、米を研ぎ、筵(むしろ)に落ちた米をたたいて集めます。これらの作業がそれぞれ見物の人たちに見せる芸になっています。とれたお米をいかに喜んでいるかを様々に表現してします。
男山(おとこやま)八幡神社のホーゼまつり
9月14日、15日
八幡神社
小浜市男山
八幡神はいち早く仏法に帰依することを願い、本地を阿弥陀仏とする八幡信仰を形成しました。放生会は八幡神社の大事な行事で生き物を放ち、供養する仏教的色彩が濃厚ですが、小浜のホーゼまつりは千種の広峰神社祭礼(祇園まつり)の大半がホーゼまつりにそのまま移ったもののようです。大太鼓の打ち合いはすさまじくふく面の出で立ちや笠鉾もなかなか風流です。近年、山車の競演も試みられています。
長畝 八幡神社例祭/日向神楽
9月14日、15日
八幡神社
丸岡町長畝(のうね)
丸岡城主・有馬家が日向国から伝えたもので城主の移動で伝わったものです。小浜城主・酒井家が川越から連れて来た雲浜獅子も同じ例です。十四日は夜舞い、十五日は昼舞います。仲々すぐれた能面も使われています。神楽の終了的に五色の幣を取り合って護符として持ち帰ります。
オシッサマのお渡り
十月第二土曜日、日曜日
髙雄神社
福井市本堂町
髙雄神社境内の「宵の宮」に祀られている猿田彦(ハナオッサマ)、天鈿女(オシッサマ)の二神が、一日目の夜に、近郷の村々を廻った後、お旅所の「待手の宮」へお渡りします。
そこではお供米を蒸した「オンモク」を氏子たちが奪いあいます。
二神はお旅所で一夜を過ごしたのち、翌日「宵の宮」へ還ります。
宵の宮へのお渡り行列はハナオッサマが先導し、ささ竹の綱を引く子供たちの「サイヨリ、ミヨリ、イタテコテント、イコマイカ・・・」の歌と、独特な太鼓の拍子に合わせながら、オシッサマがゆっくりと進みます。
太鼓の拍子は次第に早くなり、大門の所まで来ると、オシッサマは舞を披露し、参道をまっしぐらに疾走し、勢いよく「宵の宮」に駆け込みます。
伊弉藷神社例祭/竜(りょう)舞/田楽・御幣播き
10月17日
伊弉藷(いざなぎ)神社
高浜町小和田(こわだ)
能舞台の上で子供たちが奉納します。竜舞いと似てますが、検印はしません。右足でケンケンをして一度両手ですくい上げる様な仕草をしてから鉾をすくい取ります。本殿と中山と高野に向かってこの所作をします。田楽もグルグル三回廻ります。最後に御幣を舞台から播(ま)いて全てを終了します。御幣の先にはお米が付いています。御幣を稲に見立てて豊作を表現しています。本来は金剣(かなつるぎ)神社の八朔まつりです。
月/日 | 開催地 | 祀り事 |
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1月1日 | 越前市 | 味真野 味真野神社と正月の越前万歳 |
1月晦に近い日曜日 | 福井市 | 和田 和田八幡宮 大寒みそぎ |
2月9日 | 福井市 | 神細江町 栗島神社 だんごまき |
2月11日、13日 | 今立町 | 栗田部 岡太神社のおらいし |
2月15日 | 池田町 | 水海 田楽能舞/祝詞(のっと) |
次回は令和5年(4年に1度) | 福井市加茂町 | 大森 賀茂神社祭礼/睦月神事・中とびと太夫 |
味真野 味真野神社と正月の越前万歳
1月1日
味真野神社
越前市
味真野神社の地は、男大迹皇子(おおとのおおじ・後の継体天皇)の居住地(坂井郡高向の里から移住される)といわれ、又、継体天皇と天皇第六皇女の佐々宣姫を祀った野々宮神社を合祀した、須波(すわ)系の社がこの味真野神社です。この神社で元旦に古典的な越前万歳が舞われます。近住の野大坪はその発祥の地ともいわれ、藩政時代には、正月には加賀藩にまで出向いていたといいます。その帰路、村々を訪れたようです。
和田 和田八幡宮 大寒みそぎ
1月晦に近い日曜日
和田八幡宮
福井市和田1
一月の晦日に近い日曜日、舟津神社と同じ、大寒みそぎをおこないます。近年、みそぎをする人が増え、福井市の冬の風物詩となりました。
神細江町 栗島神社 だんごまき
2月9日
粟島神社
福井市上細江町
前年の文殊山の祭礼日の四月二十五日に拝殿で宮のお守り役を決めるくじ引きが神職によりおこなわれ、集落から一戸が選ばれます。この家で二月九日早朝三時ごろからだんごが作られます。女人禁制が守られています。四百年前から続く悪疫退散の行事で疫病が流行した時から始まったとの事です。お菓子やミカンもまかれ、これらは厄年の人達が持ってきます。俵が一つだけまかれますが、このなかには鏡餅とだんごが入っており、福を呼ぶといって大変な取り合いになります。だんごにはお金が入っています。
栗田部 岡太神社のおらいし
2月11日、13日
岡太(おかふと)神社
今立町粟田部
世阿弥の能・「花筺」の舞台となったところで「おらいし」を「王位莱祀」といって、男大迹皇子の王位継承を祝う説もあり、蓬莱祀・莱祀・鳳莱祀・お雷子等、さまざまな記述が残っています。餅で作った繭玉を栗の木の枝に付けて、俵で作った台座に乗せ松葉で縁どり、それをシュラ(ソリ)に乗せて歌を歌い町中を引き廻します。「おらいし」は「櫑子」又は「罍子」(ともに「らいし」)と呼ばれた菓子等を盛る「器」を模した姿を表現したもののようです。「櫑」や「罍」は豊作を意味する字形です。目出たい繭玉をつけた木は神の依り代であり、中世の宴会に付き物だった島台を大きくして風流化したものです。島台は神仙の住む蓬莱の島のことですから「蓬莱祀」はよくその内容を伝えています。本来は十三日の行事でしたが、引き廻しを十一日におこない、十三日には祀りを執りおこない繭玉を別け与える日になっています。明治以前は白山三社と称されていました。隣の池田でも昔、小正月に栗の木に繭玉をつけて境内や田に立てたと伝えていますが、左義長やオショウジコウ(お精霊講)に習合されたようです。
水海 田楽能舞/祝詞(のっと)
2月15日
水海八幡宮(現鵜甘神社)
池田町水海
代々、水海八幡宮(現鵜甘神社)の神主が努めています。中啓とチリ(幣)を持ち、最明寺殿(北条時頼公)に田楽を仕(つか)まつった故事を述べて、めでたい御田楽(みでんがく)を始める事をつげます。祝詞に翁面を使うため、後の式三番翁には父尉(ちちのじょう)を使用します。
大森 賀茂神社祭礼/睦月神事・中とびと太夫
次回は令和5年(4年に1度)
賀茂神社
福井市加茂町睦月神事会館、賀茂神社
800年の昔より伝承し続けた神事。
国の重要無形民俗文化財(昭和53年指定)にて、早朝6時30分より17時頃迄続く一連の行事。
3才頃の童、保育所入所前の児童4人、小学校低学年児童4人、小学校高学年4人、中学生2人、青年団壮年団老人会等に到150人程参加する。
町上げての行事。
男性のみ参加。
女性は世話役をする。