由 緒
社伝によると、創祀は福井藩祖結城秀康が下総国結城に在城の砌、遠江国(静岡県周智郡)秋葉神社の分霊を城内に勧請、慶長6年(1601)当国北庄(現福井)に移封せられるや居城の東南端今の地に移した。
以後防火神と崇められ、藩の祈願所と定められて、歴代城主の崇敬するところであった。
明治5年福蔵院秋葉神社を火産霊神社に改称。
明治23年豊島下町に鎮座在りしを境内がせまいため隣地を買収し、地籍手寄中町に遷座した。
昭和3年11月13日幣帛神饌料供進社に指定。
昭和20年戦災、昭和23年震災を受けたが昭和28年本殿、昭和38年拝殿、昭和51年10月神楽殿改築と順次復興、建築され現在に至る。
なお、当神社には県指定(昭和37年)の無形文化財「馬鹿ばやし」という芸能が伝承されている。
この芸能は朝倉家家臣多田善四郎により伝えられたもので、概略すると、無台の中央に大太鼓を据え、片脇に笛・太鼓・鉦の囃し方を設け、面を付けた者がお囃しに合せて大太鼓を打つのである。
その際のしぐさが面に合わせたもので、特異な味が披露されるのである。
また、その際に使用する面は昭和20年の未曾有の福井戦災にも免れ、現在37面が残されている。
中には越前国に伝わる能面師の出目作、春日作であると言われる。
なお、免れた理由は、大正14年建築の煉瓦造り倉庫が戦禍から免れたからである。
合わせて明記すると当神社の御神体も当時宮司出征の中で、留守を守った同夫人の手により戦禍の中をくぐりぬけて現在に至っており、20年毎に御開扉が行われている。