由 緒
白山神社は体調が御巡錫の砌、建立されたと伝えられ、神体は泰澄の作という。
八幡神社は越前地方に大洪水があった折り、経田の大川(現在の八ヶ用水)の岸辺に流れ止まっていた神体を当時の豪族八代が発見して手当をし、社を建立して奉祀したと伝えられている。
八代は御宮建立後大金持となり姓を名乗ることを許され東間八代(とうけんやしろ)と称し、境内に末社として祀られている。
昭和14年福井県護国神社が造営されるに当り、八幡神社境内は、護国神社宮域となったため、白山神社に合併され、祭神は合祀された。
昭和23年の福井大震災に被災し全壊す。
仮殿にて祭祀を続けていたが、昭和54年10月に本殿、幣殿、拝殿を始め、鳥居、手水所、社務所等の社殿、附属建物の建設と境内整備として、境内周囲の石玉垣、社号碑、参道等の造作を完了し、面目を一新した。
社殿造営の完成を同時に、氏子区域全般に祭典の振興のため、参加を呼びかけ、都市計画後の市街化した全区域の奉賛を得て、神賑(かみにぎわい)行事を盛大に執行することとなり、毎年、続けている。
次に、年頭に左義長祭には、境内に左義長の塔を建て、15日の早朝から、五穀豊穣、無病息災の祈願祭を執行し、近在近郷からの参拝者が多くにぎわっている。