由 緒
第97代後村上天皇の御宇(1339~68=室町時代中期)の頃、久末村に伊弉册尊を奉斎する白山神社が創建された。
社殿は東向きで、御神像は、室町中期の作と伝えられている。
昭和13年に土地区画整理が行われた時に社殿を南向きに改築された。
昭和23年の福井震災や豪雪、台風等の災害を受ける度に補修、修繕を加えて保持して来たが、老朽損傷が甚しくなり、更に、自動車公害・道義の退廃も加って来たので、昭和47年5月に対策を協議した。
しかし、立案実施の結論が出る前に、オイルショックによって経済が混乱したことから建設を断念せざるを得なかった。
昭和56年7月に有志が討議を重ね、10月に氏子総会を開催し、対策を練って総意を集約して奉賛活動を開始すると共に、同57年2月に地鎮祭を執行し、御社殿の改築工事に着手し、又、玉垣建立など境内整備も進められたので、同58年5月には、数十年来待望の荘厳、壮麗な御社殿が建立され、境内は整えられて、敬神の年の篤き氏子の崇敬を深めている。
境内末社と奉斎されて来た「久末神社(祭神 譽田別尊)」を本社に合祀した。
神器、神具を保管する祭器庫を新設し、更に、参集殿(区公民館と共用)を建設し、文化活動の拠点としても価値を高めている。
環境整備、境内整備、鎮守の杜の維持保管に意を用い、神木植樹に努めている。