由 緒
福井神社は昭和18年9月、福井城内の霊域に越前福井藩16代藩主松平慶永公を奉祀し、総桧造の壮麗な社殿が御創建され同時に別格官幣社に列せられた。
松平慶永公、文政11年(1828)徳川御三家の一、田安斉匡の6男に生誕され、天保4年(1833)6月11日に16歳で第16代藩主として入国された。
幼少の頃より忍苦精励の人格の練磨に努められ、藩制を改革、文教面においては、藩校明道館を創設して人材の育成にあたられ、英邁人徳の君主として慕われ、政治力とともに高い評価を受け景仰されている。
また、幕末回天の偉業に参画、政治総裁職等の要職に就かれ、公武合体を推進しながら幕制を改革し全藩を一糸乱れることなく統率され維新の名君と謳われた。
摂社の「恒道神社」には、側近として維新の大業に参画、公に従って国難に赴いた、中根師質命(雪江)・鈴木重栄命(主税)・橋本綱紀命(左内)の祭神3座が奉仕されている「恒道」の社名は、『続日本紀』にある「忠を以て君に事うるは臣子の恒道也」に由来したものである。
昭和20年7月、福井空襲により御社殿を焼失し、戦災震災から福井市が復興した29年、奉賛会会長熊谷太三郎氏を中心に社殿再建に着手、福井市の中心に位置する福井神社を清純な市民の心の拠りどころとするにふさわしい聖域とすべく想を練り、昭和32年に神殿、拝殿、摂社が完成、同33年に大鳥居、35年宝物館、40年絵馬殿、41年社務所、49年に銅像、59年には渡殿がそれぞれ御造営された。
平成2年6月2日慶永公が明治23年6月2日に63歳で薨去されて100年にあたり、その遺徳を偲んで松平春嶽公100年祭が厳粛に斎行され、各種の奉賛行事で賑った。
また、平成5年10月10日には、御鎮座50年式年大祭が執り行われた。
各式年大祭には皇室より奉幣されている。