由 緒
社伝によれば、往昔当地が坪江の庄下郷に属する以前は、式内家津神社が祀られていた。
以後に奈良春日大社より御分霊を勧請したという。
当村の裏山には家津・春日・白山の三社が祀られていた。
このことから三社山と呼んでいたともいう。
明治8年12月23日村社に列せられた。
大正の頃篤志の人が三社山の峰上に公園を造る事を計画し氏子はこれに応じた。
氏子は三社山東側の一角の地を社地にと寄進し、大正13年4月9日福井県の許可を得て三社山の中腹に鎮座する春日神社社殿を移し現在地に遷座した。
同年8月16日神饌幣帛を供進する神社に指定された。
明治時代の境内は461坪となった。
昭和5年4月社殿を改築したが、同23年6月福井大震災により拝殿が全壊し同41年4月再建。
同55年手水舎新築。
同56年社務所改築。
因に明治時代の本殿は前口2間奥行2間3尺。拝殿2間半4方 氏子数70戸であった。
大正3年10月8日前口8尺奥行4間の廊下新築の許可を福井県より得、同4年1月11日竣工した。
同年7月31日間口3間半奥行3間の社務所新築許可。
同13年10月8日前口3間奥行2間の物置新築許可を得同年11月5日竣工届出をした。
境内社の伊弉册尊を祀る無格社白山神社は、同字西垣内に鎮座していたが、明治40年8月12日福井県の許可を得て同境内に移転した。
この時の白山神社は前口1間奥行1間の社殿で境内地12坪 氏子70人であった。
少彦名那命を祀る薬師神社は往昔より当社の境内にあり、社殿は1間4方であった。