神職専用ページ

白鬚神社

支部名 南越支部
神社名 白鬚神社
境内社名 神明神社、藤倉神社
旧社格 郷社
郵便番号
鎮座地 福井県南条郡南越前町今庄63-27
電話番号
FAX番号
御神徳
主な祭典 子供神輿(例祭日渡御)
宮司 畠山俊英
URL (なし)
e-mail (なし)
特記事項
御祭神 猿田彦命
大己貴命
少彦名命

由 緒

 創立の年月不詳。
往古から近郷・近村の人々に崇敬されて来たが、殊に杣山城主瓜生保、弟の重信とその将兵の信仰も篤く、刀剣等が奉納された。
延元2年(1337)足利尊氏の将 高師泰が金ヶ崎城を攻撃した時に瓜生保杣山城主が足利の軍勢を引き寄せる策として、湯尾の一駅を残して村々に放火したので、社殿・回廊・宝物などが類焼した。
その節、畠山社司は神璽を背負い避難した。
戦乱は打ち続き、田畑は荒廃し、人心は疲弊した中で、仮殿を設けて神璽を安置した。
 その後、百有余年を経て、越前国の城主朝倉敏景の寄進(文明年間=1469~87)によって社殿を建立して往時の姿に戻った。
 正保2年(1645)の大火に炎上したので、現在地を神域と定めて、社殿を復興した。
元禄10年(1697)丁丑5月に社殿を改築した。
寛延元年(1748)に本殿の造営にかかり、宝暦5年(1755)6月に竣工し、同月27日夜に御遷座の儀が執り行われた。
 明治4年に字愛宕不老清水に鎮座の新羅神社を合祀したが、同7年に氏子の願いに依って旧社地へ遷座された。
 明治14年5月11日に郷社に昇格した。
 明治43年5月14日に藤倉神社(祭神・大己貴命・少彦名命)を本社に合祀した。
 藤倉神社は、今庄村字藤倉山に地ざし、創立の年月は不詳であるが、養老年中(717~724)に泰澄大師が、薬師観音を配合し、藤倉権現として一山を開いて四十八坊を置いた大社であった。
 天正2年(1574)の兵火で悉く焼失した。
その後、郷民によって再建され、今庄宿の総社と尊崇されて来た。
明治元年の神仏分離令によって藤倉権現を藤倉神社と改称した。
検索ページにもどる