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春日神社

支部名 南越支部
神社名 春日神社
境内社名
旧社格 郷社
郵便番号
鎮座地 福井県鯖江市鳥井町12-31
電話番号
FAX番号
御神徳
主な祭典
宮司 髙橋孝和
URL (なし)
e-mail (なし)
特記事項
御祭神 武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比咩大神

由 緒

創立の年月日不詳。
往時は御板部郷15ケ村の総社で、延喜式神名帳に見える丹生郡の「大山御板神社」に比定される論社の一社である。
国内神名帳に大山御板神社は「正五位御板神」と出ている。
崇神天皇の御宇、大彦命の北陸道下向に際し当国の元大山にいる賊を退治しようとして、丹生郡宮崎村舟場より当地に着陣し、楯板を立て軍神武甕槌神・経津主神の二神を奉祀して賊を征伐された。
命はその御神徳の不昧なことに感悦して、御板神社の社号を贈ったといわれる。
延喜式神名帳に「大山御板神社」と記されているのは、大山に賊を打ち給うたことによる。
社伝によれば治暦4年4月藤原隆家の供奉により天兒屋根命・比咩大神が合祀されてから社号が春日神社と改称された。
以後歴代の国司・領主の崇敬もあつく、神地等の寄進があって社頭は隆盛をきわめたが、中古の頃延元・天正の兵乱によって衰微したといわれる。
その後慶長18年社殿が再建され、同年地頭荻田主馬助長繁より3石、更に寛永7年9月17日大坂夏の陣において真田幸村を討ち取った西尾宗次より2石7斗の社領の寄進があった。
神社の維持はこの社領によるほか御板部庄4ケ村の氏子を始め郷中15ケ村の崇敬者の醵金によってなされたが明治維新に際しての社領廃止後は専ら氏子の崇敬者の負担によって維持されている。
当社には往古より軍神祭と称して出陣の装いをして神慮をお慰めする行事があった。
これを「御板部の花鉾祭」と言い、近郷の人々が群集し賑ったので、広くその名が知れわたっていたが次第に衰えすたれていった。
維新後明治5年には村社・同12年9月に郷社に列せられた。
大正4年1月16日神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在の本殿は慶長年間の再建といわれ、細部に室町時代の古式な技法が部分的に見られ、この地方の社寺建築の流れを知る上で貴重な遺構である。
このことから昭和53年5月国の重要文化財に指定された。
これを機会に同56年から57年にかけて、国および県・市より補助金を受けて全面的解体修理が行われた。
当社の境内社として西尾仁左衛門が祀った若宮八幡神社と白山神社があった。
後年応神天皇を祀る若宮八幡神社は当田に遷し祀った。
また菊理比売命を祀る無格社白山神社を下司村6字中出に遷し祀った。
当社に次の伝承がある。
昔当社には藤原隆家が信濃国諏訪神社へ勅使として下る途中、当大山御坂神社の荒魂御板部岡神の御神託によって造営された桜鬼大明神という末社があった。
この御祭神は荒神にましまして、村民が農耕の穢れ物を持ってここの境内の前を通るたびにお咎めをくだされた。
このため、この境内に接していた志摩村岸村両村のものが、ひそかにご神体を持ち出し川に流してしまった。
しかし、この神罰は直ちに現はれ、康安元年丑6月18日巳ノ刻に起こった大地震大洪水によって日野川の流れが現在のように変わった際、この両村は流れ失せて人家は全滅してしまったと御板部岡神社社記で伝えている。
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