神職専用ページ

賀茂神社

支部名 丹生支部
神社名 賀茂神社
境内社名 八坂社、稲荷社、白山社、十二支守護社
旧社格 郷社
郵便番号 910-3644
鎮座地 福井県福井市加茂町7-1
電話番号 0776-98-3086
FAX番号 0776-98-3086
御神徳
主な祭典 賀茂神社睦月神事
宮司 廣部重紀
URL http://kamo-jinja.jp/
e-mail fukui-kamojinjya@soleil.ocn.ne.jp
特記事項
御祭神 別雷神
伊賀古夜比賣命
玉依姫命
大巳貴命

由 緒

 福井市加茂町日野川に注ぐ志津川の中程、小高い位置深い緑の中に鎮座する。
参道はかなり距離がある。
正面に朱塗の両部鳥居(柱間6.6米)が太いしめ縄を携えて建つが、実は二本の縄を1本にしめ込んだもので、男と女すなわち夫婦和合を表している。
大鳥居を潜ると木々の生い茂った広い境内が広がり、正面に拝殿、その左に社務所が続く。
拝殿の背後に本殿とその両脇の脇社が石垣を築いた高台に建ち、石垣上には神門が建つ。
 社伝によれば、延喜式神明帳に記載されている式内社丹生郡「雷神社」に相当。
創建は養老元年(717)社家廣部の祖廣部民部が賀茂両宮を勧請。
その後越前の国司であった源満仲公より天慶年間(938~947)各種の寄進があったのをはじめ、南北時代の護良親王、戦国時代の朝倉家、羽柴秀吉、丹羽長秀各氏より諸役免除等の書状、寄進や崇敬を受け、近世にはいっても福井藩主松平氏の代替りの際、参拝されている。
いずれにしても歴代の国主・藩主らの尊崇あつく、霊験あらたかな社として人々の生活を守って来た古社である。
日本でも珍しい電気・電波の神を祀り、家内安全・夫婦和合・商売繁盛、病気平癒・厄除・安産・除災招福の守護神であり、さらに子供に恵まれる・妊娠の中絶・男女離別・勝負に勝・方除・金持ちになる・合格・祟りを治す等々人間の欲のほとんどを満足させるお守り300種を授けているので著名である。
 また社殿等は天正年間(1573~91)の一向一揆・元禄年間(1688~1704)と明和3年(1766)4月18日の火災で被災。
現本殿は享和元年(180)、本社右の脇社祇園社が寛文9年(1669)、左脇社白山社が宝暦8年(1758)に、大鳥居(福井県有形文化財)が元禄10年(1697)稲荷社が寛政3年(1792)に再建された。
天明3年(1783)再建の拝殿は、帯鋤小学校として使用しておいた明治9年に焼失し、現拝殿は大正6年に再建されている。
正面に大千鳥破風・唐破風を付けた平入り入母屋造。
銅板葺の本殿は身舎平面を正面桁行約5.8米側面梁約5.6米のほぼ正方形。
石積基壇上に礎石を据えて建ち、3間の向拝を角柱とする他は円柱にて、4周に刎高欄付きの切目縁を廻し、向拝柱の建つ浜縁にかけて5級の木階を設ける。
縁・腰・内法の長押と頭貫を施し、柱上には和様出組を置いて軒支輪を設け、中備は装飾的な蟇股を向拝に配し、他は間斗束。
向拝と身舎の測柱筋に海老虹梁を架け、正面中央間を両開きの菱格子戸、脇間を菱格子、側面1間を板戸とし残りは板壁。
祭礼は以前流鏑馬の神事及び競馬等も盛大に行れていたが、天正年間(1573~1591)の兵乱より後は中絶する。
しかし馬場先は今も現存する。
2月14日には天下泰平、田作、養蚕、五穀成就を祈る約800年前より伝承されし特殊神事「睦月神事」を今尚盛大に執行(昭和28年福井県無形文化財、昭和45年全国記録無形文化財、昭和53年重要無形民俗文化財)。
社地は境内外廣部社家の所有地を第24代廣部兵部太夫の時、神社所有地とし、神社風致の維持と共に廣部社家の永代を計って来た。
神職は養老元年神社創建より代々奉仕し、現神職にて45代。
検索ページにもどる