由 緒
養老年中(717~24)越の大徳 泰澄大師白山禅定の際、建立と伝える。
延喜の制、大野郡九座の内、樺神社に充てられる。
境域に沿ふ味見川を御手洗川に櫻川と称し、椛に因みてと云われる。
鎌倉期、大野郡小山庄、地頭、伊自良氏の中野手居館により重代、氏神として尊崇す。
『越前国名蹟考』に「八幡社、味美七郷の産土神、本社三間に四間、拝殿四間に八間、一・二の鳥居、祭礼、八月十五日、神輿渡、謚取、大野七軒町、伊自羅伊右エ門」と記載される。現本殿は三間社流造、正保三年再興。
近年修理の際、外観を朱塗、胡粉群青仕上げの彩色が判明した。
内部神殿は、桧材。
一間社、入母屋造、唐破風付、漆塗に調えられる。
境内の古拝殿は、周尺による、丈六の阿弥陀仏座像を中尊とした方三間の阿弥陀堂の様式に他一棟の建物の残材を使用した中世の建築物である。
江戸中期、大木の下若宮社、スワノモト、須波明神を吸収、奉斎。
古来、八幡宮、八幡大菩薩、八幡社、八幡宮明王院と称し神仏混交のまゝ明治九年八幡神社として列す。
明治四十四年 河内住吉神社、神当部八幡神社、南野津又八幡神社、小当見春日神社、西市布八幡神社を合併奉斎する。
昭和二十一年七月、前記五神社を旧地に分祀する。