由 緒
当社は、継体天皇の御勧請で従来大溝神社と称していた。
桓武天皇御宇延暦11年(792)南都本宮の分神春日神社を合祀して芦原大溝神社又は春日大神とも称す。
当時鎮守府将軍坂上田村麻呂信仰によって数多の寄附あり。
ついで一條天皇御代当国押領使齋藤民部小輔伊傳信仰社領を寄附し後白河天皇御宇当国総追捕使齋藤国貞厚く尊敬して保元元年(1156)奏聞の上南都興福寺宗徒下向奉幣神輿を寄附し、僧侶社人庄官等28名を置き天下泰平国家豊饒を祈誓し春秋祭典には必ず郷中16ヶ村へ神輿渡御があり、その後、天正3年(1575)織田信長の為に60町の社領を没収され神宝、古籍等も悉く焼却せられ、社人僧侶四方に離散し独り性宝院坊「現今祠官齋藤家の祖なり」の守護に依って御神体を保存する事が出来た。
当時燃え残りを保存している。
天文9年(1540)戌年ときざまれている。
それから只川北芦原大溝神社の号のみ残っていたが東山天皇御宇宝永4年(1707)氏子協力して社殿拝殿を再興し、寛延元年(1748)当国の太守より寄附物あり。
そして大溝神社は3月11日春日神社は8月15日と春秋両度に祭日を定めた。
中でも春の祭典には市中に神輿渡御せられ明治5年郷村48ヶ村の郷社に加列。
同10年4月郷社大溝春日神社と改称した。
彦狭神社は従来境内神社であったが大破の為本社へ相殿として出願し、明治15年5月20日福井県に於て許可。
明治30年6月古社寺保存法公布により社殿等修復。
境内拡張諸末社建築整備の上祭礼山車町内巡行を年中行事とした。
同39年8月御鎮座1,100年祭を行った。
大正元年8月26日神饌幣帛料供進神社に指定された。(境内に継体天皇御腰掛と言い伝える岩がある。)
昭和23年6月の福井大地震で、春日神社の社殿等が倒壊した。
そこで、昭和24年に十日地区内で倒壊を免れた市姫神社・金山神社を春日神社の境内地に移し奉り、白山神社を春日神社本殿に合祀して金津神社と改称した。
なお、金津神社の社殿は、市姫神社の社殿を春日山山頂から移築した。
昭和45年1月金津神社再建奉賛会を設立1,500戸の氏子の浄財をもって同46年鉄筋コンクリート銅板葺入母屋造り本殿幣殿拝殿翼殿竣工。
同7月18日浄暗の内に正遷座祭を斎行した。
翌昭和47年1月社務所新築工事「鉄筋コンクリート平屋建」に着手同5月30日竣工、6月2日上棟祭並に総合竣工式、3日例大祭、4日奉祝祭を執行する。
昭和51年8月社務所2階増築工事着手同年12月20日竣工、なお従来7月20日を金津祭として全町内の祭儀を行ってきたが再建を記念して昭和47年より例大祭を6月2日と定めた。