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白山神社

支部名 吉田郡支部
神社名 白山神社
境内社名
旧社格 村社
郵便番号
鎮座地 福井県吉田郡永平寺町光明寺6-37
電話番号
FAX番号
御神徳
主な祭典
宮司 豊島稜威夫
URL (なし)
e-mail (なし)
特記事項
御祭神 伊弉册尊


由 緒

 社伝に勧請は寿永2年(1183)という。
木曾義仲が、治承4年(1180)に以仁王の令旨を受けて、平家追討の軍を進めるに際し、白山大権現に戦勝を祈願するため太夫坊覚明を代参させた。
倶利伽羅谷や加州篠原などで勝利を納めつつ、当地に着陣された時、九頭竜川の洪水で舟筏が出せないので、覚明に願文を認めさせ、弟野太郎光弘を白山大権現に代参祈願させた処、洪水が治まり数万の軍兵は無事に渡河することができた。
そこで、神徳を称え白山三所と皇子7ヶ所を建立奉斎したと伝える旧跡である。
 中世(鎌倉・室町時代)には勢至堂(せいしどう)と申し上げ、平泉寺の弥陀・観音・勢至の3社の1つで、末社が9社あった。
天正2年(1574)の一向一揆の戦乱の折に、本尊が光を放って飛んで来られたので、この地を光明寺と称するようになったとも伝えている。
 凝灰岩の石鳥居を延亨4年(1747)に福井分藩松平昌勝公が奉納された。
元禄元年(1688)と元禄14年(1701)と刻まれた石燈篭には「七面大明神」の神名がみえ、慶應4年(1868)と刻まれた「大勢至石標」が建立されていることから当社信仰の深さと複雑さとが伺える。
 昭和43年に、石玉垣を建立して境内整備を行い、昭和44年10月19日に本殿と拝殿とを改築して竣工遷座祭が執行された。
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