由 緒
康治2年(1143)2月14日に創立と伝えられる。
社伝によれば「康治元年(1142)霜月(旧暦11月)に和田村の漁師が、月夜に漁に出て網を打っているうちに石と思われる重いものを引き揚げたところ一種異様な寂しさを感じたので、漁を中止し、網をそのままにして家に帰った。翌朝、漁具を拾うため前日の漁の処に来てみると、石と思ったのは、石ではなく、古木で作られた御神像であった。漁師は、感にたえず御神像を和田村の本郷庄司の門の傍に据え置いてお祀りをした。村人が、このことを伝え聞いて参詣する人々が、日に日に増していった。そして、漁民は、海浜から大石や奇石を運び、農民は浜から白砂青松を運び、鎮座地を清め崇敬の念をいよいよ深めていた。やがて、郷民が、協議し、協力して、和田村字愛宕山の地に社殿を造営し、康治二年二月十四日に遷座し、新宮大明神と称え奉った。」という。
また、『神社明細帳』に「明治四年七月に郷社に列せられ、明治四十一年四月二十六日に神饌幣帛料供進の神社に指定された。明治四十四年四月二十四日に境内神社の事代社に諏訪神社祭神建御名方命、広嶺神社祭神素盞嗚尊、稲荷神社祭神倉稲魂命、大神宮祭神国常立尊、天満宮祭神菅原道真公、猿田彦社祭神猿田彦大神を合祀して、諏訪神社と改称した。」と、また、「本殿(前口七尺二寸、奥行七尺八寸)明治二十八年九月三日改築。社標(花崗岩・高サ一丈・幅九寸角)大正元年九月二十七日建築。玉垣(花崗岩・長サ拾間)大正六年九月十二日許可。社務所(前口一丈九尺五寸奥行五丈五尺四寸五分)大正七年四月二十三日新築。」と記している。
現在境内は、本殿・拝殿・社務所・神楽殿・手水舎・鳥居・社標等々愛宕山を背に磯打つ音穏やかに神域相整い氏子の崇敬いよいよ篤い。