由 緒
鯖江台地の南に続く王山の東麓に鎮座する。
祭神は、崇神天皇御宇の四道将軍の一人として知られる大彦命で、相殿には大山御板神社を祀る。
共に式内社。
大彦命(大毘古命)の北陸道派遣のことは、『古事記』及び『日本書紀』の崇神天皇10年(前88)に見えるが、『舟津社記』によれば、大彦命は、淡海より角鹿の津に赴き、八田という所に着き舟場より乗船して東進し、途中塩垂の長という長老の教えをうけ、安伊奴彦の先導により深江という所に到り、舟を着けたので舟津といい、この所にある山に上ると、先に消え去った長老に再び逢ったので、この山を逢山(王山)ということになったという。
この長老こそ猿田彦命で、種々教導をうけ、その神示によりこの神圭二太(御板)の神として祀り、賊の挙兵の際にこの神に祈ると、虚空より佐波矢(鯖矢)が落下し賊の魁師にあたり、神
示の如く剣に血塗ることなく平定の功をなしたという。
成務天皇4年(134)大彦命が舟津の地に勅祭され、猿田彦命を祀る御板神社に孝元天皇が合祀された。
継体天皇元年(507)詔により正税を以て両社の神殿が再建された。
大山御板神社を上の宮、舟津神社は下の宮と称されたが、天元年中(978~83)に下の宮が火災に罹るにより、上の宮の束境に小社を建て遷され、寛仁3年(1019)下の宮の再度の焼失により上の宮に合祀された。
応永21年(1414)社殿老朽化し神主橋本宮内大輔常住は下の宮の再興をはかり、同23年これを再建し、下の宮の相殿に上の宮を祀り、正中に大彦命、左座に猿田彦命、右座に孝元天皇が祀られ、現在の三座奉祀様式となる。
寛保2年(1742)王山の東二町の地より束麓の現在地に社殿が遷された。
古くより北陸鎮護の社として朝野の篤い崇敬を受け、享保6年(1721)間部氏の鯖江入封後は祈願所とされた。
明治8年5月、県社に列格。
昭和51年9月御鎮座二千百年祭が斉行された。
本殿は、県内最大規模の五間社流造。
背面中央三間庇付。
文政3年(1820)再建。
昭和63年当初の柿葺に葺改められた。
大鳥居は、寛政21年(1800)の再建になり、平成3年に解体修理された。
拝殿は、天保4年(1833)再建の割拝殿であったが、平成3年9月27日に襲来した台風19号により倒壊し、再建準備中。
かつて境内の内外は「舟津八景」として知られていた。