神職専用ページ

加茂神社

支部名 小浜市遠敷郡支部
神社名 加茂神社
境内社名 稲荷神社、塩釜神社、床浦神社、妙見神社、太田神社、金毘羅神社
旧社格 指定村社
郵便番号
鎮座地 福井県小浜市下田52-26
電話番号
FAX番号
御神徳
主な祭典
宮司 木﨑 卓
URL (なし)
e-mail (なし)
特記事項
御祭神 加茂別雷神
貴船大神
片岡大神

由 緒

 創立の年月不詳。
 古より伝えられた古記録によれば寛政年間(1789~1802)に火災に罹り、社殿共に焼失した。
若狭神名記によれば、同10年(1799)社殿再建という。
又旧記に「人皇四二代文武天皇の大宝年間(701~704)山前に鎮座まします。」とある。
口碑では桓武天皇の延暦5年(786)征夷大将軍坂上田村麿が当地に下向され社殿の前を通られた時、白髪の老人が岩穴に座していた。
将軍はその姿をあやしみ聞かれたところ、翁は「我は山城国葛野郡松尾に住む加茂別雷なり当地を開発せんがため、汝を待つこと久し」と言って消えた。
将軍は大いに感じ入り現地に神殿を創建し山前加茂別雷神を祀られた。
以後この谷を田村谷という。
 村上天皇の天暦7年(953)山城国上加茂神宮の祢宜職であった田村麿の臣、22代従四位下の西池保皆の二男をこの社に下向させ禄高九石六斗五升を下賜された。
以後西池氏七代が神社を守護されたという。
 明治40年12月当時の社殿は本殿の間口3間2尺奥行2間5尺、向拝の間口1間4尺奥行5尺、拝殿の間口2間4尺奥行3間3尺長床の間口2間1尺奥行5間3尺であった。
また此の年に間口8尺奥行8尺5寸の拝所が建設された。
 境内地436坪には塩釜社・床浦社・天満社・太田社・金毘羅社の5社を建立、氏子216戸の立派な神社であった。
 大正元年9月26日指定村社に列せられた。同3年12月14日同字岸の軻遇突知神を祀る無格社愛宕神社が福井県の許可を得て合祀されたが、由緒深い当神社は区民たちの強い崇敬心と願望により後年元の社地に分離奉斎された。
検索ページにもどる