由 緒
社伝によれば、御祭神鵜草葺不合尊と伝えられ御母豊玉姫が海辺で鵜の羽などを葺草にまぜて産殿の屋根を葺かれ、それができあがらないうちに御安産されたので右のような御名を奉られたという。
古来漁猟又安産の守護神として崇敬されている。
延喜式によると、宇波西神社名神大月次新嘗と記され、月次・新嘗の祭と祈年祭の時、官幣にあずかったのは北陸道7ケ国352座の御祭神中ただこのお社だけという由緒がある。
古伝によると文武天皇の大宝元年(701)日向浦に垂跡あって、同年3月8日に上野谷(現国立福井病院官舎付近)に遷られ、大同元年(806)3月8日更に現在の地に御鎮座されたという。
建武・元亀年間再度兵火の為に炎上。現在殿は嘉永4年(1851)に造営された。
例祭は鎮座の日にちなんで今は一ヶ月後の4月8日におこなわれている。
例祭神事は昭和28年に県の無形文化財に指定され、更に昭和51年には国選択無形民俗文化財の指定を受けた。
例祭当日午前2時から始まる各集落の献饌行列や正午過ぎからの王の舞・田楽舞等は古式ゆたかにおこなわれ民俗学者達の注目を集めている。
昭和38年本殿屋根葺替(桧皮)、同42年儀礼殿新築、同56年王の舞堂新築・儀礼殿増築、同62年本殿屋根銅版で葺替、同63年氏子会館・神具庫新築、平成元年絵馬殿屋根葺替、平成2年社務所改築・参道松並木補植・神社標識の設置等、整備事業が着々と進められている。