由 緒
創立の年月不詳。
「弁天さま」の愛称で親しまれている当社は、田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の女神三柱を主神に祀っている。
延宝3年(1675)小浜藩が領内の神社由緒の調査を行った。
藩庁に提出した記録に
小松弁財天
「弁財天の宮社の創建は不詳其暦号。小松原の守護神なり、往古此社は有今之御地。其此先主京極宰相殿欲為城地、令退居小松原弁才天於今之堀屋敷。然漁家雑而炎焼数回也。依其恐怖府城近里炎火、小松原弁財天宮社退処今於此乎。夫是弁才天者依為御城本社、先主代々令造営宮社。今代空印様も為國家長久御願、被成造五当社者也矣。延宝3年(1675)9月念3日」とある。
社伝によれば、正保2年(1645)乙酉年11月小浜藩主酒井讃岐忠勝が当社を信仰し金員や、材木を寄附して再建した。
その後寛延元年(1748)戌辰年11月金員寄附、天保14年(1843)癸卯年9月寄附し改築した。
御内陣扉裏書に「寛延元戌辰年一一月御宮造営之古扉也、干時天保一四癸卯年迄巳歴九六歳 今穐九月再建之節則以削用之也」と記されている。
明治41年1月31日福井県の許可を得て同村福谷字坂ノ谷火産霊神を祀る秋葉神社を合祀した。
また安政3年(1856)丙辰9月信徒の志願で創立された新小松原字大川に鎮座する大己貴命・少彦名命を祀る無格社大川神社を福井県の許可を得て明治41年2月7日合祀した。
漁民の氏神として、航海安全・豊漁発展の崇敬をあつめ、陸上交通安全への神徳もあらたかである。
7年目毎の式年7年大祭、13年目毎の式年上葺遷宮が約300年前より行われ雄壮である。