由 緒
創立年代不詳
往昔に勧請されて天台宗南教防が別当を勤めた。
長禄2年(1458)に朝倉敏景が、社領を寄附し、社殿を建立し境内整備を行い神域頗る荘厳であったが、戦国時代に兵火によって焼失した。
豊臣秀吉公が社地6畝20歩を寄附され、上元禄に社殿を再興した。
慶長14年(1609)に野路太右衛門、玉木勝左衛門他16名の斡旋で、現在の地に遷座された。
元和9年(1623)に福井藩主が社領37石を寄附された。
亦、代々の領主の崇敬が篤かった。
明治4年8月に県社に列せられ、同41年4月26日に神饌幣帛料供進の神社に指定された。
昭和11年9月28日に幣殿、拝殿を改築竣工し、境内相整い、すがすがしい神域に氏子の崇敬敬神の念がいよいよ篤い。
八幡神社の祭神譽田別命は正嘉元年(1257)に小笠原長政君によって男山八幡宮から勧請された。
菱實紀聞に「信州より御所替の後も絶えずして今なお越前勝山の八幡宮の祭日は3月15日也」とあるのは、結城攻めに勲功があって第6代足利義教将軍より鶯太刀を小笠原太夫入道に感状と共に賜ったので、3月15日を「鶯太刀の祭日」と定めたものである。
元禄4年(1691)に美濃国高須から移封の際、城東に遷座した。
明治4年8月に神明神社本殿に合祀し同9年6月8日に村社に列せられた。
境内社の稲荷神社の祭神は、保食神と東照大神(旧藩主の邸内社)で昭和5年12月11月に合祀された。
白山神社の祭神は、伊邪奈美尊(沢町鎮座)と須佐之男命、火雷神(共に旧藩主邸内社)で明治4年8月に白山神社に合祀し、神明神社境内に遷座した。
国主から除地高1町1反5畝6歩を寄附されていた。
秋葉神社の祭神は火産霊神と市杵島姫命で明治時代に合祀された。
勝山差義長の統一神事は、2月24日に神明神社に市長、議長、区長、神社総代が参列して五穀豊穣と鎮火を祈願する式典が執行される。
土曜日には各町内ごとに祈願祭が行われ、日曜日のドンド焼の元火は神明神社の御神火が運ばれて点火される。